よく「加害者に甘い」と言われる謎

1.日本の刑事訴訟法の基礎知識

刑事訴訟法は刑事法の手続法で、刑事法の実体法である刑法と遂に見られがちだが、実は憲法との繋がりが深い。
何故なら、今の刑事訴訟法日本国憲法に併せて全面的に作り替えられたものだからであり、また、憲法にも第31〜40条の10個の条文で刑事訴訟に関するものが定められているからである。
憲法のこの10個の条文であるが、かなり具体的な内容を定められており、第3章「国民の権利及び義務」で定められていることから、被疑者や被告人の人権保障について定められたものである。
これは、嘗て冤罪事件が多発したことなどからの教訓や、戦前の大陸法法治主義*1から英米法の法化主義へのパラダイムシフトによるものである。

2.大陸法英米法の刑事法体系の違い

(1)大陸法の場合

日本の法体系は当初ドイツ*2を手本にしたもので、刑事法についてもドイツのもの―即ち大陸法の考えが導入された。
大陸法の刑事法の体系は、実体法が厳格に定められる一方で、手続法は有罪判決を出すためのプロセスとして作られている。
日本の戦前の刑事訴訟法は裁判所の職権主義*3が優先され、糾問主義*4的な手続法であった。

(2)英米法の場合

一方の英米法の刑事法体系は、実体法が曖昧である一方で、手続法で被疑者乃至は被告人の防御権を保証するものとして作られている。
戦後、日本国憲法英米法の法化主義*5が導入されると、刑事訴訟法もそれに併せて作り替えられた。
但し、刑法はそのままのため、日本の刑事法体系は二重に厳格な基準が定められる捻れ現象みたいなことになった。

3.糾問主義と弾劾主義

刑事裁判はまず、国家対被告人という形のスタイルが出来た。これを糾問主義という。
要は警察や検察での取り調べをそのまま刑事裁判にしたようなスタイルである。
このやり方だと、検察と裁判官が事実上同一の立場で、警察や検察の捜査の不手際を裁判官が指摘しにくく、結果、冤罪事件や不当な刑罰を防止できない。
そこで、検察対被告人とし、裁判官はその両者の間に立つというスタイルになった。これを弾劾主義という。
検察と裁判官を切り離すことで、警察や検察の捜査の不手際を指摘しやすくし、冤罪事件や不当な刑罰を抑止することが出来るようになった。
また、弾劾主義は裁判官(司法権)と検察(行政権)とが牽制し合う形となり、今日の所謂「三権分立」に合致する。

4.凶悪な事件の裁判の度に言われるあのフレーズ

ここ近年、凶悪な事件が増加しているのだが、その事件の裁判がある度にこんなフレーズをよく聞く。
それは、「日本の法律は被害者に厳しく、加害者に甘い。」である。
このフレーズを言う者の多くは警察という刑事裁判における一方当事者でしかないのに恰も中立・公正なように見せかけて報道するマスコミの意見を鵜呑みにした一般人である。大方、被害者の感情に入れ込み、刑事裁判が素早く結審しないことに対する苛立ちによるものだろう。
しかし、法律を学んだことのある者から言わせると、「加害者に甘い」法体系でないと、冤罪が多発する危険性がある。また、刑事事件の被害者は法益を侵害されたことに対し、加害者に対して怒りや恨みを抱き、感情的になっているのが一般である。特に、愛する人を奪われるようなことがあれば誰だってその加害者に対し必ず死刑を求刑するに決まっている。
よって、刑事裁判に被害者を同席させない方が冷静で公正な裁判が進むものである。
但し、前述のように凶悪な事件が増加している背景から、刑事裁判に被害者及びその配偶者・親族が意見を述べる場が設けられるなどしている*6

5.刑事法は応報感情を満たすためのものではない

刑事法で最も重要なことは、応報感情を満たすためのものではないということである。
犯罪の被害者は加害者に対し、復讐を企てることが屡々あるが、刑事法はそのためにあるものではない。
社会の安寧と秩序を保つため、罪を犯すと罰が与えられるぞと公的に威しているものである。

6.光市母子殺害事件裁判は刑事裁判のあり方を問うているもの

最近、光市母子殺害事件裁判の弁護人が叩かれている。
確かに、弁護人には叩かれるに然るべき理由もある*7
しかし、世間一般からのその弁護人に対するバッシングを見るに付け、今の「加害者に甘い」英米法の刑事訴訟法の否定や憲法第31〜40条で保証された人権を否定する方向に見受けられ、今後の刑事裁判がやりにくくなることが懸念される。
そうなると、事実上戦前のような糾問主義的な裁判に逆戻りとなる。
こういう意味から、光市母子殺害事件裁判は刑事裁判のあり方を問うものである。
また、それのみならず、刑事訴訟法の改正問題や更には憲法改正の話にまで発展しうるものである。
これを機に、刑事裁判への理解を深めて貰えれば幸いである。

7.おまけ

刑事裁判に関して、周防正之監督の話題作「それでもボクはやってない」という映画がある。これは痴漢冤罪事件を通じて刑事裁判のあり方を問うたものであり、実務家の間でも評判がよい作品である。
DVDが発売されているので、映画を見逃した人も一度は見ておくことを薦める。

*1:厳密には形式的法治主義

*2:当時の国号はプロイセン

*3:対義語は当事者主義

*4:対義語は弾劾主義

*5:所謂「法の支配」

*6:まあ、私が被害者になった場合、刑訴法第292条の2に基づく意見陳述において、被告人を睨め付けて西国方言で啖呵を切りそうだが

*7:具体的には別の記事にて