「幸福実現党宣言」批評 第1章

1.始めに

一昨昨日の記事では、幸福実現党のホームページのコンテンツにある「国師 大川隆法が語る『幸福実現党』概略(以下、概略)」にツッコミを入れたのだが*1、今回から一昨昨日の記事で「明日に回す」と称した詳細への批評(ツッコミ)を入れる。
ただ、一気に全部をやってしまうと、字数オーバーになる危険性があるので、今回は「『幸福実現党宣言』(大川隆法著)(論点要約)」のPDFの第1章についてのみとし、第2章以降は明日以降にする。
なお、「まえがき」と「あとがき」へのツッコミは一昨昨日の記事の繰り返しになるだけなので割愛する。

2.「第1章 幸福実現党宣言」への批評

(1)「1 仏国土・地上ユートピアの建設を目指す」について

ここは内容が「概略」の繰り返しに近いので、引用を控える。
ツッコミの内容は一昨昨日に同じく、日本人は宗教を「大局的で寛容」ではなく、「排他的で偏狭」と捉えているという偏見と闘わなくてはいけないということである。
勿論、幸福実現党が「幸福の科学」の会員(信者)以外からの参加を拒むべきではないし、大局的で寛容な開かれた政党を目指すことには異論はない。
ただ、「幸福の科学」と一体的になっているという印象が幸福実現党にはあるので、そのことが一般人を敬遠させているということには留意して欲しいということである。
また、「数多い政策提言は、その見識と言説において、すでに政治家や評論家の域を超えていると自負している」のならば、政党を結成して、政治家を送り込むより、政策立案シンクタンクを目指すべきというのも、一昨昨日の記事と同じである。

(2)「2 現在の日本にふさわしい憲法を」について

幸福実現の大きな障害となるものが、日本国憲法のなかに幾つかある。憲法は、隙だらけで矛盾がたくさんある。今流に言えば、六十数年前の敗戦国・日本を、現在の北朝鮮のようなものだと思って、占領軍がつくった憲法だと思う。したがって、日本人自らの手によって、憲法を、自分たちの幸福にとってふさわしいものに変えていく必要がある。

確かに、今の日本国憲法は現在の内外の政治情勢に合致しない箇所が幾つもあり、「自主」憲法制定―改憲には、私は概ね賛成である。
しかし、日本国憲法の成立には諸説あるが、「占領軍がつくった憲法」と見なすのは有力説ではない。
ただし、今の日本国憲法の成立に占領軍(GHQ)が関わっていたことは認められる。
しかし、本質的に日本国憲法は明治時代の自由民権運動家の憲法草案などを基に日本人が自らの手で起こしたものであることは否めない。
だから、日本国憲法が「占領軍がつくった憲法」とするのは余りに乱暴な決め付けであると言わざるを得ない*2
なお、ここに対するツッコミは、改憲すべきか否かというより、日本国憲法が「占領軍がつくった憲法」と見なしていることに対するツッコミであることに注意したい。

(3)「3 憲法前文の問題点」について

ここから、いよいよ各論に入る。

憲法前文には、幾つかの問題点がある。例えば、「先の戦争についての認識の間違い」や、「主権在民を謳いながら、天皇制の規定から始まっていること」などがある。また、戦争の危機があるにもかかわらず、前文は、いかなる国でも日本を占領することが可能である憲法になっている。例えば、ある国から、「おまえの国は、憲法でそんなことを決めているのか。では、わが国は、おまえの国を攻撃するから、よろしく死んでください」と言われたら、それまでである。前文には、日本国民のさまざまな基本的人権を侵す考え方が入っている。

いきなり「憲法前文の問題点」から第一章以降の条文の内容に踏み込んだ話になっていて、憲法前文の内容に即した批判になっていないというのが最大のツッコミ所である。
憲法前文の内容に即していない「主権在民を謳いながら、天皇制の規定から始まっていること*3」などという所はここでは取り上げない。
まず、問題となっている憲法前文であるが、以下の通りである。

前文・制定文
  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

幸福実現党宣言」に書かれた憲法前文への批判はこれが制定されたときの時代背景を全く考慮していない。
第二次世界大戦が終わったばかりの当時は、米ソの対立は予想されなかったし*4、そもそも、「平和主義=無抵抗=死」という考え方自体、短絡的すぎる。
まあ、「幸福の科学」は生存権よりも自由権を尊重する傾向が高いので、「自由の死は人間の死である*5」と考えるので、「無抵抗=死」という考えが出てくるのだろう。
日本国憲法の平和条項における先進的な点は敢えて抵抗せずに侵略者に忍従しつつもとにかく生き延びる人権―平和的生存権を認めている所にあると言われている。
この辺も、日本人の「長いものに巻かれろ」という性格の現れだと見られる。
尤も、私のような自尊心の高い人間はそんな「平和的生存権」を有り難いとは思わないし、侵略者の「奴隷」にされるくらいなら死を選びそうなものだが(苦笑)
なお、憲法前文では「平和主義」の他、「国際協調主義」も謳われていることに注意したい。

(4)「4 天皇制の問題点」について

天皇制自体は、何らかのかたちで遺しておいたほうが、日本の国にとってはよいだろうと思っている。ただ、外国から見ると、誰が元首なのか、誰が意思決定をするのかよく分からない。これが、日本が外国から信用されていない理由である。「内閣総理大臣に元首としての責任がある」と明確にするか、大統領制を敷くなどの、意思決定者をすっきりさせないと、日本という国は信用されない。

一昨昨日の記事でも、若干ツッコミを入れたが、今日日、共産党ですら天皇制廃止を訴えていないというのに、比較的「保守」というか「右寄り」であるはずの幸福実現党が上記のような形で天皇制の実質的な廃止を訴えているのはぞっとしない。
それはともかく、天皇制の実質的な廃止を訴えている理由もツッコミ所満載である。
まず、日本国の意志決定者が不明確とあるが、そのようなことは憲法に明記されていなくても、国内外問わず、誰しも「内閣総理大臣」と見ている。
何処の国でも、「大統領*6」とか「首相*7」とか呼び名や選出方法に差はあるものの、一般に行政府の代表者が意志決定者とするのが通常である。
また、憲法第66及び72条を見れば、明らかに日本国では内閣総理大臣こそが意志決定者であると言える。

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する

この点、明治憲法では内閣総理大臣が意志決定者であるような規定が明確に存在しておらず、戦前に比べると、遥かに意志決定者を明確にしていると言える*8
したがって、「内閣総理大臣に元首としての責任がある」というのは既に、憲法第66及び72条で明らかであるので、意志決定者が不明確という理由での天皇制の実質的廃止は妥当ではない
そもそも、日本人の多くは天皇制を支持しているという事実をよく知るべきである*9
なお、幸福実現党マニフェストには、大統領制への移行を謳っており、天皇制の実質的廃止の根拠に、天皇が国事行為を行うから意志決定者が不明という訳の分からない話がある。
こんなんだと、ドイツやシンガポールなどの政治的権能のない大統領*10は一体何なのか、訳が分からなくなる。
まさか、ドイツやシンガポールも「信用されていない」というのだろうか?

(5)「5 憲法九条の問題点」について

条文の「平和を希求する」という平和主義は結構である。だが、「ソマリア沖の海賊を、海上自衛隊が追い払う」のは、「武力による威嚇」以外の何ものでもない。また、「自衛隊であるから軍隊ではない」と言うが、他の国の軍隊も、みな自衛のために持っているものである。前文及び第九十八条には、「この憲法に反する法律は無効である」という主旨の内容が書いてあるので、自衛隊法は違憲になる。また、「国の交戦権は、これを認めない」というのは、人間としての尊厳を認めていないということである。
「平和主義を基調とする」ということは構わないが、解釈改憲を改め、憲法のなかに、自衛隊法の根拠を明記するべき。「侵略はしません。その代わり、こちらが侵略されたときには、国民を守るために、きちんと戦います」というあたりで、中道の線を引くべきである。

第2段落については、概ね私と同じ考えである。
今のその場凌ぎ的な「解釈改憲」を改めるべきである。
ただ、第1段落については、総論的には私と同じ考えであるものの、細かい点でツッコミ所がたくさんある。
それらを掻い摘んでのツッコミは控えるが、「『国の交戦権は、これを認めない』というのは、人間としての尊厳を認めていない」という考えは、生存権よりも自由権を尊ぶ、如何にも「幸福の科学」らしい所である。
それでも、大川隆法氏にはこの憲法が制定されたときの時代背景をきちんと勉強して貰いたい
尤も、その時の時代背景がどうあれ、憲法第9条は今の時代にマッチしていないと、私は考えるが*11

(6)「6 「信教の自由」に関する問題点」について

第二十条のつくり方は、かなり混乱を呼んでいる。「学問の自由」と同様に、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」だけでよいのであり、あとは法律でつくればよい。「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」というのは、もとは国家神道のことを意図してつくったものだが、条文を正確に読めば、天皇制自体も、これに当たる。
また、第八十九条は宗教の範囲を制約して縛るものである。「信教の自由」の下に言うならば、政治的な宗教も、政治的ではない宗教も、当然ありうる。「政治は、宗教的なるものを、一切、反映してはならない」というならば、それは唯物論国家である。

戦前、日本は所謂「国家神道*12」を宗教的バックボーンとしていた。
このことがあって、内村鑑三のような敬虔なクリスチャンが迫害されたりして、信教の自由が侵されたという歴史があった。
そして、戦後、このような国家による宗教の強制を無くすことで、過去の過ちを繰り返さないようにしたため、今のような制度に改められた経緯がある。
また、オウム真理教*13による「地下鉄サリン事件」のようなテロ活動が起こったこともあり、国民の中には宗教を必要以上に危険視する者もの少なくない*14
幸福の科学」の立場は、「正しい宗教*15」が国家の宗教的バックボーンとなれば、過去の不幸は繰り返されることはないということなのだろう。
しかし、国民の多くは国家に宗教的バックボーンを持たせるより、多種多様な価値観を認めるためには、国家が宗教的に中立であることを保証しなくてはいけないという、如何にも日本的な考えでいる。
そのために、今のアメリカ・フランス型のドラスティックな政教分離が採られたのであろう。
宗教的に中立であるために国教を持たせないという意味での「無宗教」と、唯物論とは全然違うということに気が付かない*16のは、自らの宗教を一番と自負してやまない如何にも「幸福の科学」らしい所であろう。
尤も、私の宗教政策の立場は、イギリス型の「政教分離*17を推奨する立場なので、必ずしも、「幸福の科学」とは立場を異にしていないが。
ただし、私の場合、日本の国教はやはり、神道であるべきと考えている*18

(7)「7 腐敗や堕落から世を救う機能を果たしたい」について

そのほかにも、例えば、憲法の「第四章 国会」のトップには、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と書いてあるが、実際に法律をつくっているのは、ほとんど官僚である。こういう明らかに嘘だと思うところは直していったほうがよい。また、参議院のあり方も、「政争の具」として使われ、「良識の府」として機能しないならば、再検討の余地がある。
「信教の自由」と「政教分離」のところは、議論になるとは思うが、宗教政党そのものは欧米にもある。宗教は良識の代表である。国民の多くが信じているような宗教であれば、そういう宗教政党があることによって、世の中を腐敗や堕落から救う機能を果たせると考える。

タイトルとは無関係な出だしに呆れるのだが、ツッコミ所満載である。
まず、第1段落の最初の下りであるが、実態に合わせて憲法の条文を変えろと言うのは、東大法学部を出たはずの大川隆法氏が憲法というものの役割を理解していない証拠である。
というより、行政組織に属しているはずの官僚が法案を作っていると言うこと自体、三権分立の趣旨に反する由々しきことであることに気が付いていないのは何なのだろうか。
次に、参議院のあり方云々については、マニフェストにも明記されていないが、これも事と次第によっては、即座に一院制推進論者になるだろうと思われる記述である*19
ただし、現時点において、幸福実現党一院制推進派ではない。
なお、第2段落の宗教政党が腐敗や堕落から救うという下り関しては、一昨昨日の記事の繰り返しになるので割愛する。

(8)「8 宗教と政治は補完し合うべきである」について

ここも一昨昨日の記事の繰り返しとなるので、割愛する。
マザー・テレサが難民救済を行ったという話があるが、難民救済を行った人がたまたま宗教家だっただけに過ぎない話を根拠に宗教と政治は補完し合うと主張されても、余り説得力はないという所だけ追加しておく。

3.最後に

このPDFはこの後更に、第2章・第3章と続くのだが、今回は第1章の批評に留めておく。
それにしても、大川隆法氏の歴史認識*20は酷すぎる。
また、東大法学部を出ているのに、三権分立を理解していないなど、法体系の知識が一般教養レベル以下なのが感じて取れる。
正直、憲法はある意味「目標」や「理想」といった「国家のあるべき姿」を定義するものであって*21、例えば、「法律を作るのは行政府の官僚だから、国会は唯一の立法機関であるという記述を見直せ」というような主張は通るべきではない。
部分的には賛同できるものもあるが、第1章の内容を見るに付け、「幸福の科学」が好きな私でも余り意見が合わない。
まあ、「ストップ・ザ・ヘアヌード」の時、「幸福の科学」の攻撃的なまでのスタンスに違和感があったから、意見が合わないということは初めてではないが。
ただ、「幸福の科学」は日本を「自立した国家」にすることを目標としており、この辺は必ずしも、私と立場を異にしていない。
とはいえ、ツッコミ所が多い隙だらけの論理を振り翳し過ぎず、適度な所で妥協をすることが出来ないと、例え、議席を得たとしても、今後の政治が正しく行われないと考えられる。
やはり、「幸福の科学」が自ら政治家を送り込むようなこと自体、無理があるのだろう*22
一昨昨日の繰り返しとなるが、「幸福の科学」は政策立案シンクタンクを目指すべきである。

*1:ある意味、当blogの立場宣言みたいだった。

*2:尤も、「だと思う」としているので、決め付けている訳ではないようだが。

*3:2005年の所謂「郵政選挙」で、当時ライブドアのCEOで自民党からの出馬を画策した堀江貴文氏も似たようなことを言って叩かれたことがあった。

*4:米ソの対立が予想されていたのなら、今のような憲法にはなっていなかったはず。実際、アメリカは吉田茂内閣の頃、日本に憲法を改正して軍事力を持つよう進言していた。

*5:ドイツの諺にそんなようなのがあった気がする。

*6:大統領制の場合。

*7:日本と同じ議院内閣制の国の場合。

*8:尤も、明治憲法の場合、意志決定者が天皇にあるとされているが。

*9:もし、そうでないのなら、それこそ第二次大戦後、「占領軍」によって、天皇制は廃止されていたであろう。

*10:勿論、選挙で選ばれる。

*11:今や、憲法前文で謳われている、「平和主義」と「国際協調主義」が対立軸となっているためである。

*12:元となったのは、平田篤胤の「復古神道」である。

*13:現・アーレフ

*14:私自身は、そのような極端な指向には賛同できかねるが。

*15:勿論、「幸福の科学」のことであろう。

*16:認めたくない?

*17:国教を持ちつつも、他の宗教にも寛容。

*18:神道は本来、大局的で寛容だからである。そういう意味において、戦前の「国家神道」は紛い物であると考えている。

*19:私は一院制反対論者。

*20:特に、昭和史。

*21:この辺は次回の第2章に対する批評につながることになる。

*22:尤も、会員(信者)の中には現職の地方議員などの政治家も少なからずいるのだろうけど。