船田改憲案はアメリカ型法の支配からドイツ型実質的法治主義に変更するというものか?

10月21日の記事の補足

当該記事にて、私は船田改憲案を概ね支持するという趣旨で書いたのだが、平和主義に関するところと一番最初の総論*1を概ね支持するという内容で、統治機構に関しては、かなり見解が異なる。

憲法裁判所創設の件

日本は何故違憲判決が少ないか

現在、日本は、裁判所に違憲審査の権限を与え*2、且つ、通常の裁判所にそれがある。
憲法裁判所創設は裁判所の訴訟経済に資するという考えに基づいているかもしれないが、今の日本の違憲審査の方式は具体的訴訟事件が起こされ、事件の解決に必要な限度で、適用法条の違憲審査を行う方式*3を採用している。
つまり、具体的事件が起きないと、裁判所は法律やその適用事例の合憲・違憲が判断できないという体制である。
それ故、今まで最高裁は殆ど違憲判決を出せなかったのである。
しかも、司法消極主義の考えが強く、裁判所が違憲判断を下そうとしなかったという性格面の問題もある*4

日本の憲法アメリカと同じく私的権利重視型

具体的事件が提起されないと、裁判所が違憲審査権を行使できないというのは、一見、憲政上の不合理が多いように見られるが、今の統治機構において法体系の不整合があっても、日本人の性格的問題と私的権利を重視するという側面から、上手く機能できていると見るのが妥当である。
日本人の性格的問題という面は、日本人は一般化されたプロセスやマニュアルの類より、組織内部での秩序を重んじる傾向があり、そういう意味において、明確な規範より曖昧な不文律の方が支配力がある。
勿論、日本にもそれなりの法体系というのがあるが、法律を解釈だけであれこれ「変更」してしまうのは、如何にも日本人らしいやり口である。
こういう傾向性から、プロセス重視のやり方は日本人の肌に馴染まない。
また、船田案でも現在の憲法の根本原則である基本的人権の尊重というアメリカナイズされた人権思想は殆どノータッチであることから、現在の憲法においても船田改正案においても、本質的に私的権利を重視する社会を予定している。
国民に憲法への忠誠を誓わせるようなドイツ憲法の社会とは訳が違うのである。

違憲判決が少ないのは悪いことか

前述のように、違憲判決を裁判所に出させるためには、少なくとも具体的な事件が起きなくてはいけない。
但し、具体的な事件なら何でも良く、実質的に一般国民でも憲法訴訟の機会が与えられているとも言える。
しかし、違憲判決を引き出せるような事件にぶつかる率は低い上、裁判所も積極的に違憲判決を出そうとしないことから、なかなか違憲判決が出ない。
憲法秩序を重視する社会では、こういう司法消極主義的な裁判所や具体的事件が無いと憲法訴訟できない状態を良くないと見るが、前者は性格的問題なのでさておくとして、後者は通常裁判所で違憲審査を行う都合上、致し方ないものである。
つまり、違憲判決が少ないからといって、取り立てて問題視するべきものではない。

憲法裁判所に訴訟を持ち込める権利を有するのは誰になるのか

憲法裁判所を設置しているのは、ドイツ、イタリア、オーストリー*5、そして韓国である。
憲法裁判所を設置すると、そこでのみ憲法審査対象事件を提起できることになるが、問題点も少なくない。
まず、今まで通り、具体的事件の訴訟の中において、憲法問題を含んでいる場合、通常裁判所で行うのか、憲法裁判所で行うのかの区別は困難であることが挙げられる*6
次に、例えばある法案が憲法違反の疑いがあると分かった場合、誰がそれを憲法裁判所に持ち込めるかという問題がある。
これを誰でも良いなどと無制限にしてしまうと、それこそ反政府的な市民団体が政府の出した法律などについて、いちいち憲法裁判所に持ち込むだろう。
そうなってしまうと、憲法問題専門とはいえ、憲法裁判所の処理能力がパンクしてしまうのは火を見るよりも明らかである。
そういうことを防ぐために、憲法裁判所に訴えられる人を限定させる必要がある。
しかし、どのような制限を与えるかは、船田案の中からは見えてこない。

結局、日本に憲法秩序を重んじる社会は馴染まない

憲法裁判所を創設している国々では憲法を頂点とする法体系の秩序を重んじる社会となっている。
即ち、明確な規範重視の社会だから、その制度が上手く機能しているのである。
しかし、前述のように、日本は曖昧な不文律の方が支配的な側面のある社会である。日本と同じような司法制度を設けているアメリ*7とはそういうところが大きく異なるが、違憲審査に関しては具体的事件を扱う通常裁判所に違憲審査権を与えた方が上手く機能している。
つまり、憲法裁判所創設は不要である。

憲法と条約についての補足

船田案では「憲法最高法規である」ことと「条約・国際法規の遵守」の優先順位が曖昧であると述べているが、恐らく、憲法以下国内法と条約とは別次元であるという二元論的立場であると考えられる*8
しかし、今日の通説は憲法以下国内法と国際法規の側面のある条約は同一の法体系に属するものと考えられ、且つ、憲法の方が条約より優位に立つとしている*9
つまり、以前の記事に書いた、

  1. 憲法
  2. 条約
  3. 法律
  4. 政令・省令
  5. 条例

という法規範の優先順位は常識であると考えた方が妥当である。

*1:船田元代議士のページ参照

*2:フランスは憲法院という行政機関に、イギリスは議会に、それぞれ違憲審査の権限がある

*3:付随的違憲審査制

*4:この辺を突き詰めると、日本人の性格の問題に行き当たる

*5:今年10月から「オーストリア」から表記を変更した。理由は「オーストラリア」と紛らわしいから

*6:実際、憲法問題が絡んでいる裁判は私人間の問題が発端になっているものも少なくない。この辺は憲法判例百選1を参照願いたい

*7:というより、日本は戦後、アメリカの法制度から今の体制を作った

*8:一部、そういう学説もある

*9:条約の方が憲法より優位に立つとされると、条約の内容が憲法と矛盾する場合、条約の内容によって憲法が改められることになり、国民主権硬性憲法の建前に反してしまう