いじめっ子体質のマスメディアとプライバシーの保護

よく芸能人の「スキャンダル」が報じられているが

芸能マスコミでは芸能人の交際はどんなに健全でもスキャンダル即ち醜聞として扱われる。
不倫とか二股とかならともかく、普通の交際如きで醜聞という扱いをするのだから、異常である。
そして、この異常性に疑問を抱いている人が意外にも少ない。
マスコミの報道の問題を取り上げているブログとかでもでだ*1

「知る権利」の詭弁を振りかざす自己中ども

別に芸能人の交際報道に限らず、マスコミの傍若無人ぶりは一般の事件の報道でもよく出ている。
彼らはよく「知る権利」を主張し、相手のプライバシー権を侵害することを屡々正当化する。
しかも、マスコミの連中は恰も国民の代表の面をしているのだから、厚顔無恥で傲岸不遜な態度である。
これも、「個性の尊重」を重視した教育のおかげか*2
教育の問題はともかく、彼らの非礼ぶりは異常である。
マスコミの神を僭称しているとさえ思えるその態度には、取材対象への配慮というものが一切感じられない。

メディアスクラムという集団いじめ

少し前の記事で、いじめの問題を取り上げたが、メディアスクラムという一種の集団いじめもまた大きな問題である。
メディアがまるで談合したかの如く同じ趣旨の記事を書き、ある特定の事物を批判することをメディアスクラムという。
特に、コンセンサスの得られやすい事柄があると、このメディアスクラムが発生する危険性が高い。
最近でこそ、一部のブログでそうしたメディアの態度に疑問を持つ人もちらほら出ているが、未だにメディアの奔流に流され、思考停止しているような人も少なくない。
しかし、よく考えてみれば、こういう一定のコンセンサスに基づくメディアスクラムによる糾弾キャンペーンというのは一種の集団いじめでしかない。
こんないじめっ子のマスコミがどの面下げて、いじめの問題を論うのか?

私は詮索といういじめを受けた

私は昔いじめを受けていたということは、前の記事で触れた通りだが、その中に詮索タイプのいじめを受けたことがあった。
例えば、好きな女性は誰なのかを私は、「友人」に執拗に訊かれたことがあった。
気の弱い私はつい答えてしまいかねないのだが*3、こういうことを聞き出す輩に限って、自分のことは一切話さないのだから許せない。
他人のプライバシーに関わることを聞きたいのなら、まず、自分のことを話せというのを何かの本で見たことがあったが、私の「友人」はこうした基本的な礼儀が一切なっていない。
詮索は異性問題に限らず、私の持っているモノとかにも及び、このようなプライバシー侵害の嫌がらせが私の心理的外傷を作り出していることに、「友人」達は気がついていない。
大体、自分たちだって例え親しくとも他人にあれこれ詮索されるのは不愉快だろうに。
まあ、彼らとて悪意はなく、単に私のことを知りたいという知的欲求に基づくものだろうが、相手のことを知りたいというのなら、まずは自分のプライバシーを曝け出すべきである。
そうして初めて、相手が許して心を通わせるものである。
一方的に他人のプライバシーを聞き出すのは警察の取り調べみたいではないかと思わないものなのだろうか?
詮索が一種の人権侵害であるという人権感覚のない人間は報道マンの資格はないと言っても過言ではない。

*1:大概はマスコミの政治思想面を問題にしている

*2:寧ろ、個性の尊重という教育の理念が固より形骸化していることが問題だが

*3:実は、嘘を言って逃げた記憶がある