福岡で起きたいじめの事件について
今話題沸騰中であるが
学校におけるいじめの話題は今に始まったものではない。
寧ろ、昔からあったことである。
しかも、いじめを苦にした自殺者は今回が初ではない。
私が小中学生くらいの頃*1でも、どこかの中学校でいじめを苦に自殺をした人がいて、教師から自殺はするなということをホームルームの時間に言われた覚えがある。
つまり、今回の事件は今までの過ちを繰り返しでしかない。
実を言うと、私もいじめを受けたことがあった
幼稚園の頃は知らないが、私は小学校時代から既に虐められていた。
この当時の私のいじめへの対応は、単純で、泣き喚くことだけだった*2。
だが、こうしたことを繰り返すうちに、周囲は泣き喚くことに対して批判的な態度となり、同情を得にくくなった。
そうなると、言葉の上手くない私は、腕力での喧嘩に打って出た。
元々、運動神経が鈍く、力も弱い故*3、相手を喧嘩で負かすことは全くといって良いほどなかったが、中学までの教師は人情に厚い人が多く、よく仲裁して貰った。
まあ、腕力に訴えて喧嘩をするくらいだから、所謂いじめとは訳が違うのかもしれないが、不条理とは積極的に戦ってきたことを考えると、中学までの私はかなりアグレッシブないじめられっ子だったと言えよう。
私も高校の頃、似たようないじめを受けた
ところが、高校生になると暴力反対の校是に負けてしまい、昔のようにアグレッシブに戦わなくなった。
また、中学以前では、教師からのいじめは受けたことがなかったが、高校に入って初めて、教師からのいじめを受けた。
具体的内容は、変な渾名を付けられ、それが同級生の間で広まるという、将に今回の事件にそっくりな内容のものであった。
渾名に関しては、私の場合、他人に比べて受忍限度が著しく低く、どんなに格好良い響きでも、自分の名前に由来しないもの即ちモノに喩えられたものは断固として拒絶している*4。
そんな個人的な問題はともかく、同級生たち*5は私が嫌がるのを分かっていながら、その渾名で呼ぼうとしたりして、非常に不愉快な思いをした。
中には、善意*6でそういう渾名を使う者もいたらしいが、明確には確認できていない。
また、高校で受けたいじめは渾名だけではなく、女に全然モテない*7というのに「女誑し」呼ばわりされるわ、猥談を持ちかけられるわ、多岐に及んだ。
そして、私がこうしたことをきっかけに心を閉ざしてしまうと、女に際物扱いされて嫌われるわ、教師に相談しても私が悪者扱いされるわ、中学以前とは違った対応に泣かされた。
酷いのは、うちの親である。
特に母親はどちらかというといじめっ子タイプなので、高校時代の私はいじめの相談をしても詰られっ放しで、親にも突き放される有様である*8。
こんな悲惨な境遇にありながらも自殺をしなかったは、偏にプライドの高さ故だと思う*9。
今回自殺をした中学生は、もしかすると、プライドがそれほど高くなかったのかもしれない*10。
高校の頃の同級生は私に変な渾名をつけた件について一切謝罪していない
実は、中学時代にも体の特徴などから変な渾名が付けられたことがあったり、ちょっかいを掛けられたりと随分といじめの苦を味わった。
しかし、きちんと対応してくれる教師がいたり、或いはそれなりに理解ある友人がいてくれたり、虐めた側も誠実に謝罪した*11こともあり、今ではそんなに不愉快な思い出を引き摺ることはなくなった。
一方、高校時代については、私が積極的になれなかったせいもあるが、私に不愉快な思いをさせた連中は未だに謝罪をしないばかりか、隙あらばまたちょっかい掛けようと目論んでいる*12。
私はこんな誠実さの欠けた連中に今でも腹を立てている。
日本人は一般的に過去起きた事件を忘れることが良いとする風潮があるから、過去受けた辱めを忘れろということを主張する者も当然いるだろう*13。
しかし、私から言わせればそういう輩は隠蔽体質の恥知らずでしかない。
また、プライドある人間は絶対に過去に受けた辱めは忘れないものだ。
それは人として極めて普通の感情ではなかろうか。
間違っていれば率直に謝り、やましくなければ信念を貫く。誠実が基本
いじめの件とは離れてしまうが、中国や韓国などが日本に対して持っている思いも私が高校の同級生に対して持っている思いと同じものだと思える。
要は、誠実で明確な謝罪がないが故、未だ許せないというものだ。
相手は誠実な対応を求めているというのに、日本が行った対応は極めて姑息*14で卑屈な相手のご機嫌を伺うというやりかたで余計に気味が悪い*15。
学校のいじめの問題がいきなり外交問題に飛躍してしまい、ピンと来ないかもしれないが、要は、国家間の関係でも、個人間の関係でも、本質は同じである。
まあ、私は謝ることは得意でないのが辛いが、少なくとも、信念は貫くし、筋は通すようにしている。
最後に
今、いじめを受けているのなら、いじめっ子の不条理と戦え!
いつの世も不条理と戦わねば正義は実現しない。
こうしたことを書いているうちに、私が法曹の道を選んだことに当初とは別の意義*16を見出せたような気がしてならない。
*1:15〜20年前くらいか?
*2:気が弱いから
*3:だからこそいじめの対象となってしまうのだが
*4:今でもその方針は不変である
*5:全員と限らないが
*6:民法などでは「善意」というと事情を知らないことを意味するのだが、ここの文脈だと一般的な意味での善意と民法での意味の善意の両方を意味すると解している
*7:告白されたことありません!
*8:それでも、中学以前はしっかりと相談に乗ってくれたが
*9:私は物凄くプライドが高い!
*10:プライドが低いと寧ろ、からかわれていることに鈍感なので、虐められているという状態にはならない。
まあ、いじめを受けている状態なのかどうかは必ずしも客観ではなく主観の問題ということか
*11:きちんと対応してくれる教師のお蔭だが
*12:連中は学習能力がないとしか言いようがない
*13:実はこういうことを言われたこともあった
*14:ここでは本来の「その場凌ぎ」という意味
*15:平和憲法に拘泥したり、靖国参拝をやらないことなどが誠実で正しい対応ではない!
*16:当初は企業法務やプライベート・バンキングが念頭にあった