解釈について

カテゴリ上は司法試験関連だが

どちらかというと一般的な話題なので「コラム」に近い。

法律の文章は曖昧で抽象的故、解釈という作業が必要不可欠

法律の文章というと、一般的ではない語彙が使われていたり、或いは抽象的で曖昧という印象がある。
これはきちんとした理由があって、余りに具体的過ぎると、法律の条文が柔軟に運用できず、未知の事項に法律で対処できないからである。
だから、法律の文章は解釈の余地を与え、未知の事項に対処する意味合いで、抽象的で曖昧に書かれている。

解釈の種類

法律の文章を具体的な事件に適用するために行う作業を解釈というが、この手法は大きく分けて5種類ある。

文理解釈

これは法律の文章を文字通りに解釈するという、一種偏執的だが基本的な解釈の方法である。
例えば、とあるマンションの規約*1に「部屋で犬猫を飼ってはいけない」というのがあったら、文字通り、犬と猫を飼ってはいけないと解釈するものである。

反対解釈

前述の文理解釈に似ているが、こちらは法律の文章に明記されていないことは適用外とする解釈の方法である。
先程の事例のマンションの規約「部屋で犬猫を飼ってはいけない」の場合、文章には「犬」「猫」しかないので、例えば小鳥は飼って良いとか、熱帯魚は飼って良いとかいうような解釈である。

縮小解釈

前述の文理解釈や反対解釈は文章の言葉に忠実であるのに対し、縮小解釈や後述の拡大解釈・類推解釈というのは文章の言葉の意味を曲げたものである。
先程の事例のマンションの規約「部屋で犬猫を飼ってはいけない」の場合、この条文の趣旨が犬や猫の鳴き声による騒音対策にあるとすれば、鳴かない犬や猫なら飼っても構わないとする解釈である。
つまり、趣旨の範囲内において、文章の言葉の意味の範囲を狭める解釈である。

拡大解釈

こちらは前述の縮小解釈と反対に言葉の意味の範囲を広げる解釈である。
先程の事例のマンションの規約「部屋で犬猫を飼ってはいけない」の場合、「犬猫」というのが動物一般を指す意味であると解釈し、小鳥や蛇、更には熱帯魚も飼ってはいけないとする解釈である。
拡大解釈導き出された結果が前述の反対解釈と逆であることから分かるように、同じ文章でも解釈の仕方によって、白を黒にすることができるという良い見本である。

類推解釈

これは拡大解釈に酷似しているが、拡大解釈が言葉の意味を広げる範囲がその言葉の指すものの常識的範囲までに限られているのに対し、類推解釈の場合、憶測的要素が多分に含まれている解釈である。
つまり、拡大解釈の拡大版といえる。
先程の事例のマンションの規約「部屋で犬猫を飼ってはいけない」の場合、「部屋」の範囲を超え、例えば、廊下や駐車場などマンション敷地内全域で犬猫を飼ってはいけないと解釈するものである。

拡大乃至は類推解釈が齎す煽動的先導

さて、ここからが本題なのであるが、最近、自民党中川昭一政調会長が日本も核武装の必要性を議論するべきときが来たという趣旨の発言をしたというのに、マスコミの連中はヒステリックに拡大或いは類推解釈して、恰も中川昭一政調会長核武装推進論者であるかの如く報道して、国民を煽動したという事件があった。
日本人というものはこういうアジテーション(煽動)に対して煽動者の意図通りに騒いでくれるのだから、恐ろしいものである。
先の大戦だって、このような煽動に弱い体質が齎したものだという反省が全くなく、平和主義憲法の護持だとか靖国神社への公式参拝をするなだとか形の面ばかり主張して反省したつもりになっているのだから、呆れる。
話が逸れたが、他人の言葉の裏を読むことが本質を見抜くことだと勘違いしている連中が多く、何某かのスキーマ或いは先入観/偏見に基づいた類推解釈が大手を振っているのが痛々しい。
大体、類推解釈は法律の文章を導き出したい結論のために編み出された技術である。
いうなれば法的抉じ付けの技術である。
しかも、他人の発言を解釈する過程において、発言を受け取った側が素直に文理解釈せずに類推解釈している場合、多分にスキーマ或いは先入観/偏見―即ち主観が入り込んでいる。
それを恰も客観的であるとして訴えるのだから、極めて性質が悪い。
煽動で先導するのが戦前戦後問わずに続いている日本のメディアの悪しき伝統だろう。
これを打破しない限り、同じ過ちを繰り返すだけである。

*1:これも一種の法律と言えるものだが