法治と法化
日本は法治国家ではない
日本人の間では常識のように「日本は法治国家である」と言うが、戦前はともかく、戦後においては、間違いである。
そう言うと、法治国家でないのなら何なのかという疑問が当然沸き起こるが、前文において、「戦前はともかく」と書いているところに注意して戴きたい。
英米法と大陸法
憲法を始めとする法体系にはその発展の歴史から、大きく2つのタイプに分かれる。
1つは、イギリスやアメリカで採用され発展していった英米法であり、もう1つはドイツやフランスで採用され発展していった大陸法というものである。
英米法の特徴は法による支配で、三権*1に等しく憲法による制約が課され、権力によって定められる法律に合理性*2が求められるのに対し、大陸法の場合、(形式的)法治主義という立場で立法府*3以外の権力*4に憲法による制約を掛け、被治者である国民の代表で構成された立法府には一切の制約が課せられなかった。
それ故、大陸法の場合、屡々、立法府にて憲法を無視した法律が可決され、憲法で保障された人権が侵害されることがあった*5。
法治主義から法化主義へ
戦前の日本が採用したのは大陸法で、伊藤博文や西園寺公望はドイツで憲法や法律の体系を学び、明治時代の国家統治のあり方の基礎を築いた*6。
つまり、日本はドイツやフランスのような法治主義に基づく近代国家だったのである。
しかし、戦後、GHQを通じてアメリカからの干渉が入ると、憲法や商法、刑事訴訟法などにおいて、アメリカの法の支配(以下、法化主義)の考えが導入され、法治主義から法化主義の国家に変貌し始めている。
つまり、日本は法治主義の国家―法治国家から、法の支配による国家になっているのである。
だから、日本は法治国家であるというのは間違いである。
正しくは、法の支配による国家である。