バッシングを受けて立とうと侠気溢れる父親

亀田父が反撃、バッシング歓迎「もっと言うて」

バッシングの中心は判定等を巡る八百長疑惑なのだから、本来バッシングされるべきはボクシング興行を行ったプロモーター達である筈である。
それにしても、亀田興毅の自己中とも強気とも取れる発言は、この父親あってのことだろう。
将に、この親あってこの子ありである。
この亀田史郎氏の態度は、好意的に見れば正々堂々であるが、悪し様に見れば、無反省で厚顔無恥とも取れる。
とはいえ、判定等を巡る八百長疑惑が問題点の中心であるということを考えると、亀田興毅自身の立場は単なる「駒」でしかないので、亀田興毅の強気発言は純粋なパフォーマンスかも知れないが、この父親がプロモーションに関わっているとすれば、この強気な態度は疑惑の解明を行おうとする真摯な態度ではなく、開き直りである。
即ち、無反省で厚顔無恥ということになる。
前の記事では、打たれ強さは見習わなくてはならないと書いたが、飽くまで、これは亀田興毅の発言から導き出されたものである。
今回の父親の発言は、打たれ強さと言うより、無反省で厚顔無恥な開き直りということを寧ろ感じており、ある意味、ライブドア堀江貴文前社長に通じるものがある。
表題では「侠気溢れる」と書いたが、「正々堂々としている」というポジティブな意味と「ヤクザのように居直る」というネガティブな意味を掛け合わせたものに注意していただきたい。