「表現の自由」とは「中傷誹謗の自由」に非ず

tomockyです。

東京地検井内顕策特捜部長が、マスコミを「やくざ者より始末に負えない悪辣な存在」とこっぴどく非難しました。
私としては、1個人の意見としてならともかく、身分や地位を利用して(というか明かして)このような意見を述べることに関しては遺憾であると思います。

しかしながら、昨今のマスコミ報道を見てみますと、「表現の自由」を盾に傍若無人な報道が氾濫し、本来、人権を守るためにある憲法21条の「表現の自由」ですが、マスコミ各社が暴利を貪るため、この憲法21条を盾に所謂「ペンの暴力」で人権侵害を繰り返しているのが実状です。
将に、「やくざ者より始末に負えない悪辣な存在」なのです。

このままですと、マスコミ各社の傍若無人な報道による被害者達が「表現の自由」の規制を求め、国に訴える動きが出ることは火を見るよりも明らかで、「国民の総意」に基づいた形での言論統制が布かれることは間違いありません。

つまり、暴力装置と化したマスコミ各社がパブリック・エネミーとなる日はそう遠くないということです。

また、本当の自由というのは責任が伴うものです。
無責任な言論に「表現の自由」を標榜する資格はありません。

さて、マスコミ各社が何故、「ペンの暴力」を繰り返すかと言いますと、一言で言えば、「暴利を貪る」ためであるということになります。
じゃあ、何故、「ペンの暴力」で「暴利を貪る」ことができるかと申しますと、読者/視聴者の気を引かせるためには、「多少の」過激な表現が必要だからです。
例えるなら、好きなコの気を引くためにわざと嫌がらせをするようなことなのです。
つまり、「真実を伝える」こと以前に「関心を引くこと」に偏っているからです。

しかし、残念なことに、そのような「気を引くための嫌がらせ」を見抜く目が日本国民には備わっていません。

それ故、「気を引くための嫌がらせ」が通じなく、真に受けるが為に相手から怒りを買う羽目に陥り、相手によっては反撃を食らうことになるのです。

「気を引くための嫌がらせ」を繰り返す言論的暴力装置「マスコミ」から身を守る、マスコミリテラシー教育も重要ですが、マスコミは暴利を貪るために行っている「気を引くための嫌がらせ」?中傷誹謗を即刻止めるべきです。

それが出来なければ、「気を引くための嫌がらせ」の通じない生真面目な国民の総意に基づく言論統制が行われることを覚悟しておくべきでしょう。

私は以前、とあるマスコミ(文京区音羽の未上場の大手出版社)によるペンの暴力に関して、少し研究したことがあった経緯や、「気を引くための嫌がらせ」の通じない生真面目な性格故、今のマスコミのマスコミのあり方に疑問と怒りを覚えています。
故に、今回のblogの論調が些か攻撃的になってしまっていることをご了承下さい。

そういえば、インターネットの普及により、1個人でも「言論的暴力装置」たりうる状況になっています。

私も気を付けなければなりませんな。