「幸福の科学」は政党を作るべきではない。政策立案シンクタンクを目指すべき。

1.始めに

昨日幸福実現党の結党から総選挙の予想といった政局面での批評を行った訳なのだが、今日は政策面での批評を行いたいと思う。
正直、私はこの政党の政策は余り支持できない
しかし、昨日にも書いたように、私の基本的なスタンスは「幸福の科学」を支持するという立場であることに注意して戴きたい。
本当は、今日の段階で、幸福実現党ホームページにある「幸福実現党宣言」のダイジェスト版PDFに即した形で細かくツッコミを入れたい所であるが、字数が非常に多くなることが予想されるため、明日に回す。
今日は、「国師 大川隆法が語る『幸福実現党』概略」を基にツッコミを入れるに留める。

2.批評

(1)前文

現実に国民を救済し、幸福を具体化するためには、宗教活動だけでは不十分です。政治、外交、立法、防衛、経済対策などの問題においては政党の次元で活動した方がよいと判断し、『幸福実現党』という責任政党を創立します。
理想的社会を作りたいと願っているすべての人々のために、『幸福実現党』は開かれた国民政党として成長していく予定です。

「開かれた国民政党」として成長する予定なのは大いに結構なのだが、今の日本において、「宗教」に対して非常に根強い偏見が蔓延っている現実は考慮に入れて欲しいものである。
まあ、それ故に「開かれた国民政党」であると謳い、今回の総選挙において立候補者を公募する姿勢を見せているのだろうが。
しかし、現状の公認候補者を見ると、昨日にも書いた通り、「幸福の科学」の職員が非常に多い。
この段階で矛盾しているのではないのかという批判が来そうだが、そもそも、宗教団体の政党ということで、一般人が忌避しているということの方が大きいようである。
さて、ツッコミが後半部分からになってしまったが、前半部分については、単に政界への進出を正当化するような話であると見ており、取り立ててツッコミを入れる程ではないだろう。
しかし、私から言わせると、このことは幸福の科学」が政策立案のシンクタンク機能を持てば済む話であって、政党を組織して直接政界に殴り込みをかけるのを正当化するのに説得力が足りないように見受けられる。
なお、欧米では政策立案のためのシンクタンクが当たり前のように存在していることを付け加えておく。

(2)第1章 幸福実現党宣言

まずは第1段落から。

幸福実現党』の目的は、「幸福の具体化」「この世的ユートピアの実現」にあります。その障害となるべきものが、現行の日本国憲法の中に幾つかあります。憲法前文、天皇制、憲法九条、信教の自由の問題など、内容的に隙、矛盾が数多くあるため、憲法を自分たちの幸福にとってふさわしいものに変えていく必要があります。

確かに、今の日本国憲法には様々な問題点があることは事実である。
しかし、「幸福の科学」の考える「改憲案」は憲法第9強の所ぐらいしか、支持できるものがない。
憲法第20条(信教の自由)の問題などは殆ど誤解から端緒を発しているような感じがあり、仮説に瑕疵があるため、導き出される結論もおかしいものになっている。
その他、ここでは直接書かれていないが、幸福実現党天皇制の実質的な廃止を謳っている。
前回の総選挙で中国地方から出馬することになった、堀江貴文氏が憲法の条文の並び方について、天皇に関する条文が先に来ているのは違和感があると発言して、叩かれたことがあった。
このことから分かるように、多くの日本人は今の天皇制を支持している。
大体、共産党ですら、殆ど天皇制について言及がなされていないような状況の今、「右寄り」であるはずの幸福実現党天皇制の実施的廃止について述べるのには違和感がある。
等々、色々あるのだが、この辺の細かい問題点は次回に回す。
次に、第2段落。

欧米には現実に宗教政党が存在し、宗教が政治的な活動や発言を行っています。良識の代表である宗教政党が、開かれた「国民政党」として大きく成長していくことで、世の中を腐敗や堕落から世を救う機能を果たすことができるのです。よって、宗教と政治は補完しあうべきであり、日本にも大局的で寛容な宗教政党が必要と考えます。

確か、ドイツにはキリスト教の政党が存在している。
ただ、「良識の代表である宗教政党が、開かれた「国民政党」として大きく成長していくことで、世の中を腐敗や堕落から世を救う機能を果た」しているのかどうかは不明である。
大体、歴史的に見て、「世の中を腐敗や堕落から世を救う」はずの宗教がむしろ堕落していたことは欧州の宗教史を見ても明らかである*1
また、日本人は宗教を「大局的で寛容」ではなく、「排他的で偏狭」と捉えている*2
「大局的で寛容」な宗教政党を目指すのならば、このような汎国民的な偏見と闘わなくてはいけない。
この闘いは途轍もなく厳しいものになることは想像に難くない。
幸福の科学」乃至は幸福実現党がこの問題をどう解決していくのか、見物である。

(3)第2章 この国の未来をデザインする

物事に設計図が必要なように、国家には未来ビジョンが必要です。それがあればこそ、国民はその実現に向けて、努力、邁進していけるものです。したがって、国家の精神的な支柱、中心的な考え方となる憲法は、とても大事です。
憲法は、主として権力者から国民の権利を守るためにつくられたものであり、国民を守るための防波堤である」という前提に立ち、現行の日本国憲法の問題点(「裁判員制度」「信教・出版・言論の自由」「生存権・財産権」等)を指摘しつつも、あるべき国の姿をデザインします。
「最大多数の最大幸福」の実現のため、「努力する者が報われていく社会」を目指します。

司法試験受験生的には、「憲法は…」のくだりが気になるが、まあ、概ね当たっているので、良いとしましょう。
この「章」では主に憲法乃至は国家に対するありきたりな理念を主に述べているはずだが、何故か、「裁判員制度」「信教・出版・言論の自由」「生存権・財産権」等、「第1章」の第1段落とは別の問題点が挙がっている。
これに関する細かいツッコミは「第1章」第1段落で列挙されたそれと併せて、次回に回す。
ただ、「最大多数の最大幸福」というのは些か「民主主義」に偏りすぎであるように見受けられる。
自由主義」の観点が欠落しているように見える。
なお、「努力する者が報われていく社会」は目指すべきものであると、私も考える。
世の中には不公平や不条理があふれている。
幸福実現党に限らず、政治家はこれらを無くすための努力は惜しまないで貰いたい。

(4)第3章 「幸福実現党」についての質疑応答

幸福実現党は、宗教を基礎としている政党なので、数多くの人たちの声に耳を傾け、ニーズを常に吸収する力があります。多くの人に現実に接しているので、この世での具体的な問題点を拾い上げて、それを政治に生かしていけます。
よって、政治による幸福の具体化を掲げ、税金・医療・政治・外交・経済対策などの問題について、広い視野と「先見性」ある具体的な政策を出しています。

前述したことの繰り返しとなるが、日本人は宗教を「数多くの人たちの声に耳を傾け、ニーズを常に吸収する」と捉えていない。
むしろ、自分達の利益ばかり追求している利己的な集団と捉えている。
そうでなくても、自分達の考えを押しつけ、他人の意見に耳を貸さないものと捉えている。
これまた、前述したことの繰り返しであるが、「幸福の科学」乃至は幸福実現党はこうした日本人に根強く定着した偏見と苦しい闘いをしなくてはならない。
その勇気は評価するが、宗教が「数多くの人たちの声に耳を傾け、ニーズを常に吸収する」ものと捉えられるようになるには、今の状況から考えると、最低100年は掛かると思われる。
またまた、前述の繰り返しとなるが、「幸福の科学」乃至は幸福実現党がこの問題をどう解決していくのか、見物である。

3.総括

幸福の科学」ははっきりとした信念及び主張を持つ団体である。
ただ、それであるが故に、政党として政治家を送り込む段となると、軋轢を生みやすい危険性がある。
昨日も書いた通り、幸福実現党は理念先行型の政党である。
こうした政党は、思想的には真逆だが共産党を見れば分かる通り、政局運営が拙いという傾向がある。
正直、過去様々な政策提言を行ってきた実績を鑑みると、政党を組織して直接政治家を送り込むより、政策立案シンクタンクとして、自民党乃至は民主党などに政策提言した方がよっぽどまともに政治に関われると思える。
幸福の科学」は過去、政治に関わることについて、釈尊が国王に政策提言をしていたという話を基に正当化したことがあったが、これこそ将に、政策立案シンクタンク的な役割ではないだろうか。
幸福の科学」と政治の関わり方で最適なポジションは「責任政党」を作って、直接政治家を送り込むことではなく、政策立案シンクタンクとして振る舞うのが適切であると、私は考える。
この方が、より「幸福の具体化」や「この世的ユートピアの実現」に寄与するのではないだろうか。

*1:本来、あってはならない話なのだが。

*2:ちょっとした宗教的な用語(e.g.友愛)が出ただけで感情的な反応が多く見られていることから明らかである。