憲法は「不磨の大典」と信じて疑わない日本人の悲哀

司法試験の勉強を通じて憲法に興味を持った

終戦前の日本から学ぶべきは何なのか−3
終戦前の日本から学ぶべきは何なのか−4
上記2つはRSSリーダーに登録されているポータルサイトのリンクから見つけた記事です*1
私は今、司法試験の勉強を始めたばかりで、丁度、憲法の体系マスター*2を終えたところです。
上記の記事は番号が打たれていることから分かるようにシリーズものなのであるが、丁度、憲法の問題が述べられているので、触れていきます。

統帥権の拡大解釈について

まずは「3」より。
「3」の冒頭は歴史認識の問題を唱えているものであり、これについても概ねリンク先のBlogと同感ですが、今回は憲法の話題なので割愛します。
さて、明治憲法*3ですが、伊藤博文がドイツ*4憲法作った憲法だというのは、以前書いた通りです。
まず、「3」では統帥権の拡大解釈について触れられていますが、一般に法律の条文は、何とでも解釈可能な抽象的な文章のため、あらゆる解釈を差挟む余地があるものです。
解釈の方法は、字面通りの解釈*5や趣旨から導き出すような解釈*6、単語の意味に拘泥して条文の意味を捜査する解釈*7があるのですが、明治憲法での統帥権の解釈は歪んだ類推解釈のようです*8
因みに、明治憲法では天皇が主権者とされていたのですが、

君主は憲法の範囲の内に在りて其の大権を施行するものなり

と定められており、憲法は主権者が遵守しなくてはならない法であるという、いわば立憲主義の考えに基づいていることが明記されています。
日本史の授業などでは、明治憲法天皇主権だから、天皇は好き勝手に権力を振るえるなどと言われるようなことがありますが、それは間違いです。
しかも、立憲主義に基づいて考えれば、美濃部達吉天皇機関説は真っ当な正論だと言えますし、固より明治憲法の中で既に天皇機関説が盛り込まれています。
しかし、軍部によって、いつの間にか、統帥権が行政や立法に並ぶ大権*9であるかの如く解釈され、明治憲法立憲主義の考えが済し崩しにされたばかりか、軍部の暴走が止められなくなってしまったようです。

明治憲法の改正動議はあったのか

前述の軍部による統帥権の歪んだ類推解釈を引き起こした原因は、憲法起草時に於いて、統帥権のあり方について明記されなかったことに原因するという。
何故、統帥権が明記されなかったのかは色々あるが、偏に軍部が天皇直属という建前から、天皇の威光を借りて好き勝手する危険性を勘案しなかったことにある。
こんな法の欠陥を抱えながらも、明治憲法で改正の動議が出なかったのは、憲法が「不磨の大典」と讃えられ、国民にそのように教えられたためと言われています。
また、現行憲法では96条に、

  1. 衆参両議院の3分の2以上の賛成で発議
  2. その発議を国民に提案し、国民投票にて過半数の賛成票を得る

という2つの条件を満たして初めて憲法の改正が行えるということになっていますが、明治憲法では73条にて改正手続きのことが定められていますが、何と、天皇の発議がないと改正が行えないということも相俟って、現行憲法以上に硬性憲法だったと言えます。

憲法をやたらと変えられるのは問題だが、不磨の大典として未来永劫通用するものではない

現行憲法でもそうですが、一般に憲法立憲主義から導出される最高法規性からやたらと変えられないように作られている性質があります*10
ですが、憲法を含むあらゆる法規というものは人が作り出したものですから、当然、何らかの欠陥を備えていたり、或いは時代の趨勢から改正の必要性が出てくるものです。
現行憲法明治憲法の欠陥を直したものといわれていますが、その運用・解釈のやり方は明治憲法時代と同様のやり方を引き継いでしまっています。
諸外国では、必要に応じて憲法を頻繁に改正していますが、これは時代の趨勢や解釈の限界などから必要に迫られたものです。
諸外国では立憲主義の立場に立っても、憲法は不磨の大典であるとは解釈されておらず、また、曖昧さを嫌う国もあることから、歪んだ拡大解釈が為されそうになった場合、直ぐに変えてしまうことも多いです。
それに対して、日本は明治憲法の時代から憲法は不磨の大典であるという考えから脱却できず、改憲をタブー視する考えが横行しています。
また、曖昧なことを好む民族性から、拡大解釈・類推解釈での運用に任せてしまう傾向性があります。
しかし、拡大解釈や類推解釈での運用では、前述のように法の欠陥を突いて何某かの権力が暴走し、国民を不幸に追いやることが簡単に起きてしまいます*11
だからこそ、拡大解釈や類推解釈での運用に限界が来たのなら、遅滞なく憲法改正手続きに踏むべきです。
今は、将にその時期に来ていると、私は考えています。
尚、現行憲法の具体的な改正についての意見は別の機会にします。

*1:先に見つけたのは「4」の方。「3」は「4」のリンクから辿ったもの

*2:伊藤塾の講義名称。法律の全体像を理解することを趣旨とした講座

*3:正式には大日本帝国憲法

*4:当時はプロイセンという国号だった

*5:書かれている通りの解釈は文理解釈といい、書かれていないものは適用外とするのが反対解釈という

*6:論理解釈という

*7:言葉の意味を拡大して解釈するのが、拡大解釈といい、その反対が縮小解釈という。
また、法文に含まれない事例を法文の趣旨に照らし合わせて適用させる解釈を類推解釈という

*8:詳細はこちらで触れられている

*9:因みに、明治憲法下では司法権は行政権の一部と考えられていた

*10:改正手続きがややこしい憲法のことを硬性憲法という

*11:それこそ、戦前における軍部の暴走である!