矜持を取るべきか、公正さを取るべきか

tomockyです。

さて、ライブドアに「宣戦布告」したフジテレビですが、堀江氏のレギュラー出演番組「平成教育2005予備校」の放送中止を決定しました。

当然、これに対し、堀江氏は以下の如く不快感を感じています。

ちなみに、日曜日の私がレギュラー出演している、平成教育2005予備校は中止にされてしまったようだ。うーん、凄いことやるなあ。そんなのってあり?ありえねーとか思ってしまった。視聴率取れると思うんだけどなあ。まあ録画だけどさ。

確かに、堀江氏が不快に感じるのは当然でしょう。

しかし、フジテレビからすれば、自らの手で「敵対分子」認定した堀江氏の出演する番組を放送することに抵抗を感じるのは当然です。
もし、フジテレビが「平成教育2005予備校」の放送中止を行わなければ、「何故、自ら敵と認定した堀江貴文の出演する番組を放送したんだ!」とか「フジテレビは視聴率のため、自らの魂を売った!」などと批判される危険性が高いからです。*1

つまり、フジテレビが「敵」認定した人間のことを大々的に宣伝するという行為は、2ちゃんねるを敵視しておきながら、2ちゃんねるに頻繁に書き込み、更に2ちゃんねる用語を多用するという行為と等しいのです。

確かに、報道機関である以上、事実を公正に且つ的確に伝える義務はあるでしょう。
しかし、報道機関は、感情のないロボットや人知を超えた神様ではない、感情を持った生の人間の組織である以上、一人の人間の如く、一組織としての主義主張を持つ権利があることは然るべき事なのです。

よって、今回のフジテレビの対応は、報道機関としての公正さより、組織としての矜持を取ったということに過ぎないのです。

「矜持を取るべきか、公正さを取るべきか」というのは、あらゆる報道機関が抱えるジレンマの一つです。

今回は報道機関が自ら「敵」と認定した場合のケースでしたが、逆に「味方」の場合のケースも過去ありました。

つい最近別れてしまったのですが、石田純一さんと長谷川理恵さんの不倫報道が盛り上がっていたときにおいて、小学館週刊ポストだけ、(中吊り広告を見た限り)トーンダウンしていたのを記憶しています。
理由は、その当時、長谷川理恵さんは小学館の女性ファッション誌の看板モデルだったからです。
つまり、週刊ポストは自社の女性ファッション誌への「悪影響」に配慮したからです。

これが、音羽の杜の未上場大手出版社だったら、そういう配慮というか遠慮というかそういうものはなかったでしょうけど。

余談ですが、週刊誌の中吊り広告のタイトルは中身より過激なものが付けられていることが屡々です。
理由は、その方が人の気を引きやすいからです。
その「過激なタイトル」がトーンダウンしていたのですから、中身は推して知るべしです。

*1:かといって、放送中止にすれば、「言論弾圧だ!」とか「報道機関としての公正さに欠ける!」とか批判される危険性が高いですが。
   まあ、今回の件はフジテレビにとって、今回の件は「前門の虎、後門の狼」というところですか。