売名は果たして悪いことなのか?

自分をアピールしないことを良しとする日本人の性

日本人は兎角、自分をアピールすることを良しとしない。
まるで、カメレオンのように周囲の環境に合わせて色を変えてしまう。
しかし、今のように国際化社会において、そのような生き方は損をするばかりである。

私がよく言われることに

私は典型的な日本人と言える性格を持っているが、その一つが自己アピールをしないことを良しとすることである*1
それ故、私は職場の人から自分を出せ即ち自己アピールをしろということをよく言われる。

ネットに溢れる私と同じ性格の人間

私は過去においていじめを受けたことから分かるように、普通でない人間だと見られているし、また、自覚もしている。
しかし、ネット上の掲示板乃至はBlogの書き込みを見ていると、私のような主義主張・思想哲学を持っている人間が数多いるのに驚かされる。
このことから、一体何が普通なのか私には理解できなくなることが屡々ある。
というより、周りから浮いてしまうことの多かった私こそが普通の人間で、過去、それも学生時代の周囲の人間こそが特殊であるとさえ思えてならない。

有名人だから叩かれて当然は違憲な意見である

そのネットの意見に屡々見受けられるのが、有名人に対する「批判」と称した僻みや嫉妬の類の書き込みである。
その中で特に目立つのは「売名行為」に対する批判というより非難である。
実際、有名人が叩かれるとそれは有名税だから受忍せよという趣旨の書き込みも多く、その考えは私も首肯しうるものである。
しかし、有名人ならば叩かれて当然、目立つ奴は妬まれて当然というのは憲法第14条の「法の下の平等」に著しく反するし、また、いじめの濫觴となる考えだとも言える。
そもそも、そのような主張をする人間がいざ批判されると、自分が無名人であることを理由にその言葉に一切耳を傾けないような者が多く、実際、私はそのような人間を何人か知っている。
これを自己中心的と言わずして何と言えようか。

コツコツと実績を積むだけの人間は必ず損をする

さて、そのような「売名行為」を嫌う人間の中には実績をコツコツと積むことだけを重視することのみを良しとする者がいる。
実際、私も実績をコツコツと積むことを良しとする人間である。
もし、それで十分ならば、SEとして8年もの間実績を積んできた私は今や、課長の役職を与えられてもおかしくないであろう。
しかし、現実は役付けになるどころか未だ嘗て部下を持ったことがない。
私の場合、業界・業種の特殊性もあるので*2、他の業界・業種の人に簡単に当てはまらないことが多いが、要は、私は実績に見合った地位を与えられていないことに常日頃不満を感じている。
だが、この原因こそが実績至上主義の考えにあると、私は考えている。

仕事の出来る人は出来る人として見せる力がある

生真面目に実績をコツコツと積むだけの人間は謙抑主義の思考をしており、出来る人としてアピールすることを嫌う。
しかし、本当に仕事の出来る人は実績の有無に関わらず、自己アピールの上手い人―悪し様にいえば売名行為を行う人ばかりではなかろうか。
つまり、売り込みの上手い人間が世の中をスイスイ水を得た魚のように進み、実力はあるが、売り込みの出来ない謙抑主義の人間は負け組になる。

格差社会に勝つためにも売名行為は必要

今までの日本社会は余りに自己アピールのない人間に優しすぎた。
しかし、諸外国を見てみると、自己アピールのない人間は没落するのが当たり前の社会ばかりである。
今の格差社会を嫌っている人の多くは自分を抑えることばかりに腐心していた連中と思える*3
何故なら、自己アピールつまり売名行為を否応なしに行わなくてはならない世の中に適応できないからである。
一方、実績重視主義の考えは格差の固定に繋がりかねない。
何故なら、実績というのは一朝一夕にして築かれるものではなく、酒造りのように時間を掛けてゆっくりじっくり積み重ねるものであるからだ。
つまり、実績は時間に正比例しており、若い人間はより多くの実績を残した年寄りに所詮勝てないからである。
若い人が年寄りを出し抜くにもやはり、自己アピールつまり売名行為は絶対不可欠なのである。

今流行のビジネス関連の書籍も売名行為を慫慂する記述が多い

出世を強く望む私は今まで、人心収攬術やリーダーシップについて書かれた多くのビジネス関連の書籍を読んできた。
例えば、向谷匡史というヤクザやホストなど裏社会の実戦心理術について多くの書籍を出した人がいるが、それらに共通して言えることは出来る人間になりたければ出来る人間であるように見せろというものである。
特に、アウトローの世界は徹底した実力主義の世界であり、それ故、皆が皆必死に売名行為に明け暮れる。
そうしないと、生き残れなくなってしまうのが必至だからである。
また、私は創作物を作る*4こともあり、企画関連の本も読み漁っていたが、こちらも自分の企画を相手に伝えるためのプレゼンテーションの大切さを説くものが多い。
プレゼンテーションと売名行為は必ずしも同じではないが、自分をアピールするという意味においては何ら変わりはなく、少なくとも、売り込みを控えるような姿勢は望まれない。
いずれにしても、ここ最近の自己啓発系ビジネス書は売名行為を勧めるようなものが多い。

健全な売名を心掛けよ

ただ、売名行為を行うにせよ、飽くまで健全でなくてはならないことは言うまでもない。
悪名を馳せて売り込むというベネトン流売り込み法*5も世の中にはあるが、これは極めてリスクが高い。
何故なら、人は人を判断する上において第一印象を引きずるからである。
しかし、悪い第一印象も覆しうるものなので、その後の努力次第で回復は出来る。
とはいえ、やはり悪名を馳せるやり方での売り込みは一般には勧められない。
少なくとも、悪名を馳せることを恐れる余り謙抑主義に走ってしまうのは前述のように、今の実力主義社会において損である。
売名を悪と捉える考え方は今や嫉妬であり、いじめの濫觴となる考えであることを強く自覚して貰いたい。

*1:ただ、悲しいことに私はそこにいるだけで目立ってしまうような存在のようで、それが過去のいじめの原因の一つともなっていた

*2:プロジェクト毎に組織変更が頻繁に成される上、客先派遣が多い

*3:因みに、自己抑制の強い人間は鬱屈した臍曲がりが多いと思える

*4:ここの所、開店休業状態が続いているが

*5:実際、ベネトンは嘗て嫌悪感を催すような広告手法でブランド力を高めたということが「ブランド広告」(内田東著・光文社新書)に書かれている