野田線運転士の件の続き

kakokakokakokakokakoのつぶやきどすえ〜♪」というblogにて

気になる記事があったので、取り上げてみたい。
そのblogの意見は懲戒免職は妥当とする意見で、うちに近いスタンスだが、懲戒免職反対派の人にも目を通して欲しい内容である。

不祥事を起こした企業は果たして、真実を吐露するのか?

今回の件は、ある意味、東武鉄道の不祥事でもある。
自分の子供を乗務員室に入れた運転士に責任の多くはある。
だが、この件に関して、東武鉄道は真実を全て語ったのだろうか?
恐らく、否だろう。

真実を隠す東武鉄道

今回、東武鉄道は運転士を懲戒免職に至らせた経緯をきちんと話していない。
これ故、懲戒免職された運転士に対して同情する意見が多数出てきた。
中には懲戒免職は死刑に相当するなどという意見もあるから、同情論も根強い。
だが、東武鉄道にとって、このクレームは想定の範囲内だったのだろう。
だから、方針を変えなかった。
また、東武鉄道はきちんと真実を語らなくても、語っても、今年竹ノ塚の踏切事故の件もあるから、世間の風当たりは冷たい。
つまり、東武鉄道はどのみちバッシングを受けることになる。
ならば、そのダメージを最小限にするにはということで、ああいう発表の形になったのだろう。

運転士は不可抗力で子供を乗務員室に入れざるを得なかったのか?

懲戒免職にするかどうかの判断は、運転士が自分の子供を自分の意思で乗務員室に入れたのか、それとも勝手に上がりこんだのかというところで決まった可能性が高い。
東武鉄道就業規則は知らないが、以前にも書いた通り、乗客が乗務員室に立ち入るのは鉄道営業法第33条3項に抵触する。
つまり、法令に背いている行為である。
今回は、その行為者が僅か3歳の子供であるが、3歳の子供が自力で乗務員室のドアを開けることができるとは思えない。
となれば、誰が子供を乗務員室に入れたのだろうか?
また、鉄道車両の乗務員室のドアは外側からは鍵を使わないと開かない仕組みになっている。
濫りに人が立ち入れないようにするためである。
だが、内側からならば、簡単に開けられるようになっている。
乗務員が緊急時などにおいて、客室に立ち入って対処し易くするためである。
つまり、乗務員室に子供が入るには、乗務員がドアを開ける必要がある。
そう、これは運転士が故意において法令を犯させたことになる。
よって、運転士の責任は重い。

同乗していた妻の責任は?

この車両には、運転士の息子の他、妻と2歳の娘も乗っていた。
娘の方は、今回の件とは無関係であるが、未成年者の保護監督責任者として妻の責任はどうなのだろうか。
他のブログを見ると、この妻に対する非難が多く目立つ。
確りと子供を見張っていれば、この事件は起こらなかったという。
だが、運転士がドアを開けさえしなければ、車内で煩く騒いでいるだけの見ず知らずの子供がいる程度のことで済んでいたから*1、子供を宥める目的で乗務員室に入れたという程度では法令違反が帳消しになるとは言い難い。
妻の責任はゼロではないが、乗務員室のドアを開けさえしなければ事件にならなかったので、やはり、父親則ちその運転士の責任が一番重いだろう。

真実隠蔽は運転士の家族のため

東武鉄道は、今回の不祥事を起こした運転士を呼びつけ、事件の経緯を聞き出したことは想像に難くない。
一般の企業でも、何か問題が起こった場合、上司が当事者を呼びつけて事情を聞くのは当然であろう。
その際、当該運転士は、事の経緯を事細かに説明したものと考えられる。
そうした経緯を聞き、運転士の上司が上層部に報告し、懲戒免職という決断を下したのだろう。
運転士が吐露した話をそのまま、会社が発表すれば騒ぎは少なかったのかもしれないとは早計である。
前述のように、運転士の妻を非難する意見が数多見られたように、親の責任を問う声が同情論同様に根強い。
また、東武鉄道が真実を吐露すれば、東武鉄道の管理体制が問われる危険性も高いが、それ以上に、運転士及びその家族に与える危険の方が高い
逆を言えば、真実を隠蔽することで、運転士の家族を守ったとも言える。
少年事件性アレルギー」なんていうものもあるように、今の日本人はとかくヒステリックな傾向がある。
運転士の家族を思いやって真実を隠蔽しても、運転士の家族への非難が現状でもあるくらいだから、この真実が明かされることはこの運転士及びその家族にとって多大なダメージを与えかねない。
それこそ、写真週刊誌とかに顔と名前が晒されて、スキャンダル記事として書かれてしまえば、懲戒免職でなくとも再就職が難しく、会社に残れたとしても、居辛くなってしまいかねない。
そちらの方が、懲戒免職以上に厳しい制裁となるのではないだろうか。

*1:それでも迷惑と言えば迷惑だが